自らの手で、実りある結末を。
今、今週末に控えた、第一志望の企業の社長面談に向けて、準備をしています。
準備といっても、第一志望であることを、その熱意を伝えるために気持ちを高めているのですが……
そういったことを考えている時に感じるのは、
人生に無駄なことは起こらないということ。
今までの人生、たった22年ですが、本当に色々ありました。
小学校、中学、高校、大学、すべて受験し、更には浪人まで経験し、、
イタリアに住み、帰国後音楽に目覚め、中1と中3ではいじめられ、高校では勉強で挫折しつつもリーダーとして学年を引っ張り、浪人中にアルバイトをし、両親が離婚し、大学では遊びにゼミに尽力し、、、、
どれか一つでも欠けたら、今の自分はないなあと思います。
特に、高校時代の3年間。
私は、勉強で初めての挫折を味わいました。
落ちこぼれる自分の無力さ、非力さ、惨めさ、未熟さ、すべてに嫌気がさし、いじめられてでも必死に受験して入学した高校なのに、何も得たものはなかったな…と感じることが多々ありました。
しかし、最近になって思うのは、今の私のリーダーシップ、社交性、コミュニケーション能力は、間違いなくこの3年間で培われたものでした。
副委員長をしていた高1の時、担任の先生に言われた印象的な言葉。
「お前は副委員長だが、お前がいないとクラスが成り立たない。お前がこの学年を引っ張る存在になれ!」
当時は、「?????」となりましたし、私のモチベーション上げるために言ってくれたんだなあと思っていました。
その後も、私は自分のやりたいことを素直にやり、やることに対しては全力で挑みました。
卒業の時にあらゆる先生から言われたのは、
「お前がいないとダメだった!」
といった言葉でした。
当時の担任の先生は、教育委員会に引っ張られ、今は違う高校で教師をしています。
しかし、あの時の先生は、私の素質を見抜きながら、私のリーダーシップを引き出してくれたんだなあ〜、と、しみじみ。。。
クラスの打ち上げから卒業企画まで、大好きな高校に尽くした結果、我ながら、人望あふれる3年間になったと思います。笑
この高校に入るため、いじめられてでも公立中学に通って勉強しました。
公立中学には、受験の手段以外の理由では行かなかったと思います。そのために、中2で当時の学校の英語教育に疑問を持つことも私にとっては必須事項でした。
さらに、入学した中学に行きたい!と思ったのは、小学校が6年間通して英語教育を行うところだったからです。
その小学校に行くために、マナーと気品あふれる(らしい…笑)幼稚園に、イタリアの幼稚園から転入しました。
すべての受験を経験するなど、勝手なことをしていますが、こんなに自由に自分のやりたいと思うことに素直になれたのには、イタリアでの生活が深く関わっています。
イタリアの幼稚園は、日本の幼稚園のように、先生が遊びを子供たちに提案する…というものではありません。
子供が自分のやりたいことを主張して、それを先生が一緒にしてあげる、というものです。
イタリアの文化に触れ、イタリアの文化で育ち、この自由気ままな小娘が出来上がりました。笑
こうやって振り返ると、無駄なことは本当に何もない。
私の人生は、ていうかおそらく人の人生には、無駄なことなんで何ひとつないんですね。
何かが起こるのには理由がある。起こることすべてに意味がある。
考え方次第でそうなるんだなと思います。
私の出身高校の学年主任の言葉で、こんな言葉があります。
実りある結末
「実りある」とはどういうものなのか。
当時の私は、志望校に合格すること、いい会社に就職すること、と思っていました。
実際進学校でしたし、その先の就職先もよく聞く名前の企業ばかりでした。
でも、違いました。
きっと学年主任は、
「自分が出した結果を、自分の力で、実りあるものにする」
こういう意味を込めて言ってたんですね。
すべての就活生にとって、実りある就職でありますように。